| Swynford | John o'Gaunt | Isonglass |
| La Fleche | ||
| Canterbury Pilgrim | Tristan | |
| Pilgrimage | ||
| Blanche | White Eagle | Gallinule |
| Merry Gal | ||
| Black Cherry | Bendigo | |
| Black Duchess | ||
| Isonglass 4x4,5 / Galopin 5x4,5 / Hermit 4x5 / Sterling 5x5,5 | ||
ブランドフォードは幼少の頃から災難続きだった。
生まれて間もなく、手がつけられないくらい活発だったブランドフォードは木柵によじ登ろうとして大怪我を追ってしまう。その傷が癒えたころには、今度は重い肺炎にかかって生死の境をさまよう。
一時は獣医もサジを投げかけたが、必死の看病のおかげで回復した。
2歳になると好奇心旺盛な性格が災いする。
御者を振り落とし暴走した馬車馬が牧場内に乱入した際、ブランドフォードは引き寄せられるようにその暴れ馬に近づいたため、暴れ馬が余計に興奮し、噛みついた。全身を噛みつかれたブランドフォードは自力で牧草を食べれないくらい重傷を負い、再び生死の境をさまようことになる。
ブランドフォードの前脚は細く、長さが違った。そのためドウソンもセリの際に購入をためらった。
そのせいか、無理をさせると膝に炎症がおこり、満足な調教ができなかった。
デビューは2歳6月。ケンネットステークスは、2番人気ながらも結果は楽勝した。
そのレースぶりから、2戦目のウィンザーカースルステークスも楽勝と思われた。
しかしゴール直前、膝に炎症が発生しゴール前でよろけてしまい、結果2着に終わった。
レース後、膝の治療のために休養に入る。
3歳になり、5月のパラダイスステークスに万全の態勢で出走すると、このレースも楽勝。レース中、ドウソンは膝のことが心配でレースをハラハラしながら見ていたという。
ちなみに、このレースで敗れたスパイクアイランドは1か月後、アイルランドダービー勝ち馬になった。
膝を気遣い2カ月の間隔をあけて臨んだ、プリンスオブウェールズステークスも、11:10(2.1倍)という人気どおりに楽勝したが、レース後、再び膝に炎症を発症。
その後1年間にわたり懸命な治療を試みたものの回復せず、翌年春に引退を余儀なくされた。
性欲の弱い種牡馬は産駒への遺伝力も弱いといわている。
しかし、ブランドフォードは例外だった。種付け時、なかなか発情せずに種付けに数時間を要することもあったと言われ、産駒数もそれほど多くないにも関わらず、、産駒は優秀で年を経るたびに成績を上げていった。
特に死亡する1935年前後の産駒成績は優秀で、1934,35年の2年連続英リーデォングを獲得。また、死後においても1938年にリーディングを獲得している。
戦後、ブランドフォード産駒のアスフォード・プリメロ・ステーツマンの3頭が日本に輸入された。
中でも、プリメロはミナミノホマレやトサミドリ、クリノハナ、クモノハナ、トキツカゼ…と数多くのクラシック馬を輩出し、日本競馬界に多大な影響を及ぼした。
その多くはブランドフォードの3x4の配合で、日本中の牧場で『ブランドフォードの18.75(奇跡の血量)』という言葉が流行したほどだったらしい。
ブランドフォードの血を多用したアガ・カーンの意見では、ファラリスとの相性が最も良かったらしい。
ただし、客観的にみると他の配合と大して変わりがないとも言われ、ニックスと言えるかどうかは疑問である。