| Nasrullah | Nearco | Pharos |
| Nogara | ||
| Mumtaz Begum | Blemheim | |
| Mumtaz Mahal | ||
| Miss Disco | Discovery | Display |
| Ariadne | ||
| Outdone | Pompey | |
| Sweep Out | ||
| Outbleed | ||
ナスルーラ×マッチェム系牝馬の配合。
軽いナスルーラの血をサポート血脈がうまく絡み合い、アメリカのスピード競馬で活躍できる名馬が誕生した。アウトブリード配合のため、種牡馬としての需要も多く、数多くの名馬を輩出した。
仕上がり早で、2歳戦に強い。反面、勝負根性と決め手に欠くため、スピードで押し切る産駒が多い。
活躍した産駒には一流の種牡馬が出ずに、競争成績がそれほど目立たなかった馬から良質な種牡馬が出ている。
現在、主流血脈としてはシアトルスルーを残すのみとなったが、母系の血の中にはまだまだ残っている。
2歳時は1300m以下のレースで7勝。フリーハンデでは、バービソンに次ぐ2位にランクされた。
1700mの ガーデンステートステークス、レムゼンステークスの2レースとも惨敗したため、典型的な短距離馬と思われた。
年明け初戦となるバハマズステークスをレコードタイムで圧勝すると、次走2着後、フラミンゴステークスをまたレコードタイムで優勝した。
フロリダダービー2着後、ケンタッキーダービーのステップレースとなるウッドメモリアルSを優勝し、三冠1戦目となるケンタッキーダービーにコマを進めた。ケンタッキーダービーでは一番人気に推されたものの、直線で失速し4着に終わった。
9日後にプリークネスSのステップレースのプリークネスプレップを快勝し、三冠2戦目となるプリークネスステークスに臨んだ。プリークネスステークスでは、レース半ばで先頭に立つと、そのまま粘り切り2馬身差で快勝した。
その後、三冠最終戦のベルモントステークスでは、一番人気に押されるものの、またも直線で失速し3着に終わった。
夏を休養にあて、9~11月の間に7戦6勝。
特にベンジャミンフランクリンハンデでは61.5kgのトップハンデを背負いながらも12馬身差の圧勝劇を演じた。
これらの戦果により、米年度代表馬&米3歳代表馬に選出された。
古馬になると、サバーバンHやモンマウスH、カーターH、トボガンHなど一流ハンデレースに出走し、重斤量を背負いながらも7戦5勝と活躍した。
これらの戦果により、米スプリンター代表馬に選出される。
クレイボーン牧場で種牡馬生活に入ると、初年度産駒が3歳になった1963年から7年連続してリーディングサイヤーに輝くといった偉業を成し遂げる。
産駒数は毎年20~30頭とそれほど多くはないにもかかわらず、リィーディングトップを獲得し続けたのは、1頭当たりの収得賞金額が多かったからと言える。リボーやノーザンダンサーが2~3万ドルであるのに対し、ボールドルーラーが7万ドルを越えていたことを考えると驚異的である。
いかにコンスタントに優秀な競走馬を輩出したかがわかる。
不思議なことに、この期間において米三冠には無縁で、2歳時から活躍した馬も3歳になると不調になったり、3歳時には勝ちきれずに古馬になって頭角を現す馬は多くいたが、3歳時に米三冠の一つでも優勝する馬はあらわれなかった。
1970年から米リーディング首位の座を受け渡し、勢いに陰りが見え始めたころ、一頭の怪物が誕生する。
セクレタリアトである。
2歳時、9戦7勝で米最優秀2歳牡馬に選出されると同時に、なんと2歳にして年度代表馬にまで選出された。
勢いはそれだけにとどまらず、3歳になるとボールドルーラー産駒に無縁であった米三冠をすべてレコードタイムで快勝し、この年も年度代表馬に選出された。
ただ、セクレタリアトの種牡馬としての成績は振るわず、以降、ボールドルーラーの血脈は衰退し始めた。
プリンスローズ系はナスルーラ系種牡馬との相性が良く、ボールドルーラーにおいても例外ではない。
セクレタリアトやボールドラッドが代表的だが、シアトルスルーもこの例も該当する。
シアトルスルーやロイヤルスキー、サクラローレルなどがこの配合。
この2頭は親子関係になるため、当然ナスルーラのクロスが存在する。