ハイペリオン

ハイペリオン

リトル・グレートホース

1930-1960

「聡明さ」と「逞しさ」をあわせ持った馬。
彼の功績は現役時代より種牡馬となった後の影響力が大きく、またブルードメアサイヤーとしても脅威的な遺伝力を発揮している。

生産国 イギリス

馬主 第17代ダービー伯爵

戦績 13戦9勝

主な勝鞍

  • エプソムダービー
  • セントレジャーステークス
  • プリンスオブウェルズステークス

小さい馬体でダービー馬となったことで一躍英雄的存在となった。セントレジャーを取り、二冠を手にしたが、その後調教師が変わってからは不振が続き、ついには引退してしまう。

Hyperion

  • -Stardust
    • -Star Kingdom
  • -Sun Chariot
  • -Owen Tudor
    • -Tudor Minstrel
  • -Rockefella
    • -China Rock
      • -ハイセイコー
  • -Khaled
    • -Swaps
  • -Aristophanes
    • -Forli
  • -Gay Time
    • -メイズイ
  • -Aureole
    • -Saint Crespin
      • -タイテエム
      • -エリモジョージ
    • -Auroy
      • -カブトシロー
    • -Vienna
      • -Vaguely Noble
  • -High Hat
  • -Pensive
  • -Hoenbeam
    • -Intermezzo
      • -グリーングラス

ハイペリオンは高齢まで生殖能力は衰えず、24歳で英リーディングサイヤーに返り咲いた。この馬は『聡明さ』と『逞しさ』をあわせ持ち、その産駒にも受け継いでいる。

Gainborough Gayardo Bay Ronald
Black Cuchess
Rosedrop St. Frusquin
Isabel
Selene Chaucer St. Simon
Canterbury Pilgrim
Serenissima Minoru
Gondlette
St. Simon 4x3 / Galopin 6,4,5x4,6 / Pilgrimage 4x5

セントサイモンとガロピンの血を18.75%ずつ持つ、極端なインブリード配合。
近親配合ながら驚異の頑健さを持ち、競走馬としても種牡馬としても大成功した。特に、種牡馬としては父系としても母系としても多くの名馬を輩出している。
とくにスタミナと逞しさを産駒たちに伝え、長距離の大レースで活躍する名馬を数多く残した。
一般的には母系に入ってスピード型の父馬と配合するケースが多いが、スタミナ型の母系に合わせても成功するケースがあるため、万能型の種牡馬と言える。

走るかどうかは、気分次第

2歳時、ハイペリオンはその素質の片鱗を見せていたものの、「走る気がない時は、走らない」という、厄介な馬であった。
デビュー戦は4着と凡走し、初勝利後の3戦目も同着で何とか勝利するものの、4戦目は8馬身の3着に終わり、なかなか当てにしづらい面が多かった。
その後、デュハーストステークスを勝利し、2歳を5戦3勝で終える。

気分屋という点においては、ふとしたことで立ち止まると根が生えたように動かなくなることもしばしばあったらしい。調教師が変わった直後のアスコット・ゴールドカップにおいて、馬場入りの際、前調教師を見つけたハイペリオンはその場に立ち止まってしまい、馬場に入れるのに一苦労したというエピソードも残っている。

チビの英雄

距離が短い2000ギニーを回避したハイペリオンはエプソムダービーに出走した。
一番人気ながらも7倍台のオッズ。”大きな馬が有利”といわれたこの時代、他馬に比べて体が小さいハイペリオンには厳しいという見方もあった。
しかし、レースでは2着以下を4馬身も引き離し、レコード勝ち。この姿を、伝説の名馬・セントサイモンとだぶらせたファンも多かった。
その馬高は、標準馬よりも5cm、大型馬と比べると10cmも低かったという。そのため、当時は大変なハンデをもった馬として受け止められ、そのハンデを克服してのダービー制覇は人々の感動を呼んだ。

このレース後、『同じ強い馬同士が戦えば、常に大きい馬の方が勝つ』という格言の後ろに、『ただしハイペリオンはのぞく』という注釈がつくようになった。

ラムトン調教師とリーダー調教師

ハイペリオンは3歳まではラムトン調教師もと11戦9勝の好成績を残した。
そこにはエプソムダービーやセントレジャーなどのGⅠも含まれており、まさしく超一流馬と呼ぶにふさわしい実績だった。

しかし、健康的な理由からラムトン調教師は解任され、代わりにリーダー調教師の管理下に置かれると、成績は一変。
初戦のアスコット・ゴールドカップでは10馬身差の大敗、続く2頭立てレースでもハンデ差があったとはいえ格下馬に敗れるという結果に終わってしまう。
これは、ハイペリオンがリーダー調教師を嫌っていたため真剣に走らなくなってしまったことが原因だと言われている。

種牡馬としてのハイペリオン

種牡馬としても優秀で、1935年に種牡馬となると、1940-42,45,36,54年の6度英リーディングサイヤーを獲得した。
また、29歳まで種付けをおこなったでけではなく、20歳を越えて種付けした産駒がGⅠを取り、25歳を超えて種付けした産駒が後継種牡馬となった。
また、後継種牡馬にも高齢まで生殖能力が衰えなかった馬が多く、『逞しさ』をも子に伝えた偉大な種牡馬であった。

Owen TudorやAureole、Rockefellaが欧州で活躍する一方で、アメリカではKhaledやHeliopolis、オーストラリアではHelios、アルゼンチンではAristophanesやSelim Hassanなど、その後継種牡馬たちは世界各地で活躍した。

イギリスの象徴

第二次世界大戦中、戦火を避けるためイギリスの多くの種牡馬たちもアメリカに疎開させられた。
そんな中、首相・ウィンストン・チャーチルは「ハイペリオンは決して英国の地を離れないだろう」と言明した。その言葉は、ハイペリオンが当時”イギリス国民の羨望の的”であったことっと同時に、”イギリスの象徴”でもあったことを意味付ける。

優しさと逞しさ

種牡馬となったハイペリオンは、見学に訪れる訪問客に対してたいへん人懐っこいしぐさを示した。種牡馬としては珍しいくらいにおとなしく、子供が頭をなでても平然としていたらしい。

しかし、いったん牧場内に放つとその動作は活発になり、有名な”後肢で立ち上がるポーズ”を好んで見せていた。この時ばかりは、ハイペリオンを制しようとしても無駄で、気がおさまるまで傍観するしかなかったそうだ。

Hyperion x Nearco

特に、ネアルコ系の種牡馬とハイペリオン系の牝馬の相性が良い。
Nearctic(Northen Dancerの父)は、父・ネアルコ/母父ハイペリオンの配合。
日本で馴染みのある所では、テスコボーイが父・プリンスリーギフト(ネアルコの孫)/母父ハイペリオンの配合。

Hyperoin x Son-in-Low

ハイペリオン系の種牡馬とサンインロー系牝馬との配合で、チャイナロックやSwapが生まれている。どちらもパワー型の重めの血で、種牡馬としてより母父(ブルードメアサイアー)として力を発揮した。ただ、同様の配合ながらAbernantだけは洗練されたスピードも兼ね備えた。

Hyperoin x Donatello

父・ハイペリオン/母父ドナテロでオリオールやハイハットが、父・ドナテロ/母父ハイペリオンでアリシドンが生まれている。どれも長距離のパワー型で、一時期ヨーロッパで優秀なステイやーを多数輩出したが、現在のようなスピード優先の時代では衰退を余儀なくされている。牝系のサポート血脈としては効果的に生き残っている。