ナスルーラ

ナスルーラ

絶対的スピード遺伝子

1940-1959

スピード競馬の祖ともいえる血脈。激しすぎる気性と優れたスピードを構成に伝え、その血脈は、現在もなお影響を及ぼす。

生産国 アイルランド

馬主 アガ・カーン3世

戦績 10戦5勝

主な勝鞍

  • コヴェントリーステークス
  • チャンピオンステークス

気性の悪さが災いして、クラシックは4着・3着・6着と惨敗。戦績も超一流とまでは言えないが、卓越したスピードは本物。

Nasrullah

  • -Bold Ruler
    • -Boldnesian
    • -Bold Lad
    • -Secretariat
    • -Raja Baba
  • -Red God
    • -Blushing Groom
  • -Never Bend
    • -Mill Reef
    • -Riverman
    • -Bravest Roman
  • -Grey Sovereign
    • -Fortino
    • -Zeddaan
      • -Kalamoun
  • -Plincely Gift
    • -Tesco Boy
  • -Nasram
    • -Naskra
  • -Nashua
  • -Freet Nasrullah
  • -Rego

ヨーロッパではそれほど目立った存在ではなかったが、1951年に北米へ輸出されると本領を発揮。1955~62年の8年間で5度の全米リーディングサイヤーに輝く。

Nearco Pharos Phalaris
Scape Flow
Nogara Havresac
Catnip
Mumtaz Begum Blenheim Blandford
Malva
Mumtaz Mahal The Tetrarch
Lady Josephine
Canterbury Pilgrim 5x5 / St. Simon 5x5
ネアルコ×ブランドフォード系牝馬の配合。
母系はスピード型のレディジョセフィンの流れを汲み、そこのサポート血脈のブランドフォードがスタミナを注入し、ネアルコと配合することでスピードの爆発を起こした、まさに理想的配合。
気性の激しさと驚異的な勝負根性は、ナスルーラ特有のスピードとともに産駒たちに伝えられた。傑出したパワーとスピードの反面、気性難によるレース対応ができない馬も多く、能力に反して大成できない馬たちも多かった。

卓越したスピードと激しすぎる気性

2歳の6月のデビュー戦3着後、いきなり伝統レース”コヴェントリーステークス”に出走。このレースを大楽勝で勝利する。3歳最高峰レース・ミドルパークステークスでは牝馬に首差の惜敗をしたが、コベントリーステークスのレースが評価され、この年の英最優秀2歳牡馬に選ばれた。

3歳になり、クラシック初戦の2000ギニーでは本命に推されるも気性の悪さが災いして4着に敗れる。
続くエプソムダービー3着、秋のセントレジャーを6着と結局はクラシックを取ることはできなかった。

これらのすべては気性の悪さが出た結果で、卓越したスピードも十分に発揮できないまま引退することとなった。

アガ・カーン3世に見捨てられる

ヨーロッパ最大のオーナーブリーダー、アガ・カーン3世の配合理論『ファラリス系のスピードとブランドフォード系のスタミナの融合』をもとの生産されたナスルーラであったが、アガ・カーン3世はナスルーラの気性悪に嫌気がさしていた。
おまけに、一流馬を多く揃える彼の牧場にあっては、ナスルーラは決して一流とは言えず、期待もされずに引退した年の秋にはアイルランドのジョセフ・マグラスに売却される。

ヨーロッパでのナスルーラの種牡馬成績はそれほど良かったわけではなく、ごく平凡なものであった。
しかし、ナスルーラ産駒のヌーアがアメリカに転戦し、当時の三冠馬・サイテーションを3戦連続打ち負かすと、一気に注目をあびることとなる。

そして、北米へ

ヌーアの活躍にいち早く目をつけたのは大牧場主、アーサー・B・ハンコックであった。
彼がナスルーラの購入に動くとジョセフ・マグラスは値段を釣り上げ、容易に売ろうとはしなかった。結果、37万ドルという非常な高値で売買が成立した。

※37万ドル=当時のレートで1憶3000万円程度

ちょうどこの頃、アメリカ競馬は早熟性とスピード優先路線に切り替わり始めていた。
凶暴なまでに激しい気性が激しい闘争心となって、優れたスピードと瞬発力に合わさって伝わることで、仕上がり早のスピード馬を多く輩出する結果となり、アメリカでの大成功を導くこととなる。

ナスルーラの牡馬=種牡馬

アメリカでは、「ナスルーラの牡駒は、競走成績など無関係に種牡馬として売り出せる」といった時代があった。そのため、ナスルーラの牡馬が産まれると牧場では大喜びだったらしい。

生命保険のかけられた種牡馬

ナスルーラは、ロンドンのロイドとの間に60万ドル(約2憶1600万円)の生命保険がかけられていた。
当時アメリカでは、種牡馬の年齢が20歳を越えると支払われる額が半額になるという習慣だったが、ナスルーラの死は19歳のその契約期限ギリギリであった。

狂った暴君『ナスルーラ』

19世紀半ば、西部インド(現パキスタン)の一土候国にナスルーラという首長がいた。
ナスルーラはマホメットの後裔で、ひどく交戦的な首長として知られていた。在世中、アフガニスタンやコーカンド、ウズベックなどの近隣諸国をしばしば侵略し、略奪をほしいままにおこなった。
また、残忍な性格で、冒険旅行中の英国人を拷問にかけ、絞殺してしまったこともあり、イギリスでの評判は最悪であった。

インド人である馬主のアガ・カーンが、性格の悪さを見かねてこの名前を付けたとも言われている。

Nasrullah x Prince Rose

ナスルーラ系の種牡馬にプリンスローズ系の繁殖牝馬の相性がよく、ミルリーフ・セクレタリアト・リヴァーマンなど、名を挙げるときりがない。
ナスルーラのスピードをプリンスローズのスタミナが補うため、距離にも対応できる産駒が多く、牝系にスタミナ色が濃い場合はミルリーフやセクレタリアトのようなスタミナ型の馬も生まれる。
日本国内での配合例は少なく、成功例はない。

Nasrullah x Bold Ruler

シアトルスルーやロイヤルスキー、サクラローレルなどがこの配合。
この2頭は親子関係になるため、当然ナスルーラのクロスが存在する。

Nasrullah x Man o'War

ネヴァーセイダイなどが、この配合。
影響力の強いナスルーラのスピードとマンノウォーのスタミナがうまく融合。