ノーザンダンサー

ノーザンダンサー

辺境生まれの偉大なる父

1961-1990

世界のサラブレッド界を席巻した名馬。
競走成績もさることながら、種牡馬としても多大な功績を残す。

生産国 カナダ

馬主 エドワード・ブランケット・テイラー

戦績 18戦14勝

主な勝鞍

    ケンタッキーダービー
    プリークネスステークス
    フロリダダービー
    ブルーグラスステークス

ケンタッキーダービー・プリークネスステークスの2冠を制し、3冠目のベルモントステークスは3着に敗れるも、カナダ年度代表馬とアメリカ最優秀3歳牡馬を獲得。

Northern Dancer

  • -Nijinsky
  • -Lyphard
  • -Northern Taste
  • -Vice Regent
  • -Be My Guest
  • -Topsider
  • -The Minstrel
  • -Try My Best
  • -Northern Baby
  • -Fabulous Dancer
  • -Danzig
  • -Nureyev
  • -Storm Bird
  • -Dixieland Band
  • -Night Shift
  • -Lomond
  • -Sadler's Wells
  • -El Gran Senor
  • -Secreto
  • -Fairy King
  • -Unfuwain

言わずとも知れた”ノーザンダンサー”
リーディングサイヤーの獲得は米2回・英4回と意外と少ない。
多くの産駒は、競走馬としてだけではなく種牡馬としても大成し、今や世界競馬の最大勢力となっている。産駒の特徴も様々で、また種牡馬としての遺伝力も強い。

Nearctic Nearco Pharos
Nogara
Lady Angela Hyperion
Sister Sarah
Namalta Native Dancer Polynesian
Geisha
Almahmond Mahmond
Arbitrator
Gainsborough 4x5

ネアルコ産駒種牡馬としては今一つのニーアテックだが、北米活性血脈のネイティブダンサーの牝馬と配合されることによって活性化され、一頭の名馬を誕生させた。
ヨーロッパ系種牡馬×北米繁殖牝馬の配合は当時のアメリカでは珍しくなかったが、その中でも群を抜いた成果を残したノーザンダンサーがカナダ産というのは皮肉ともいえる。
後世にまで名を残すほどの名馬というものは、意外な所で誕生するものである。

産駒には優れたスピードとスタミナに加え、底力と成長力・勝負根性も伝えた。また、優秀な繁殖牝馬との融合性もよく、繁殖牝馬の優秀な能力をそのまま生かすことができたことが、ノーザンダンサーの種牡馬としての成功の最大の要因と言える。

エドワード・ブランケット・テイラー

大恐慌時代、業績不振にあえぐ地ビール醸造所を買収し、大企業に再生した実業家、エドワード・ブランケット・テイラー。彼は豊富な資金力を元手に、1936年にトロント郊外の牧場を買い取り、ウィンドフィールズ牧場を開業。
同時に、米英のセリで一流繁殖牝馬を次々と買い求め、当時の一流種牡馬たちと配合した。

開業当初の目的は「カナダ競馬の振興」と「カナダ産馬の質の向上」であったため、カナダの種牡馬を中心に種付けしていた。しかし、それでは国際レベルには達する馬は生産できなかった反省から、外国の優秀な血を求めるようになる。

そして、1964年。ノーザンダンサーによって、ケンタッキーダービーを制覇。
そして、 1970年。その仔、ニジンスキーによって、イギリス三冠を制することとなる。

カナダの怪物

ノーザンダンサーは、カナダでのセリで買い手がつかなかった。
売れ残りを見据えてあえて強気な値をつけての競りだったが、両親の繁殖成績が未知数なうえ、見栄えのしない体格だったため、売れ残るのも必然であった。

しかし、デビューすると2歳時に既にカナダに敵なしの強さを見せつけ、活躍の場をアメリカに移す。
アメリカでもこの馬の勢いは止まらずに、ついには3冠レースの第一冠/ケンタッキーダービーをレコードタイムで制覇する。
続く、プリークネスステークスも楽勝したことで、「三冠確実!」とまで言われたが、ベルモントステークスは三着に敗退。”距離(2400m)が長すぎたため”とも、”疲労が蓄積したため”とも言われたが、はっきりとした原因は不明である。

カナダの国民的英雄として凱旋帰国したノーザンダンサーは、帰国後カナダ・ダービーにあたるクイーンズプレートを圧勝したが、その直後、屈腱炎を発症し、引退を余儀なくされる。

産駒の高騰、種付料の高騰

ノーザンダンサー二年目の産駒・ニジンスキーがイギリス三冠を獲得した年、ノーザンダンサーは英国リーディングサイヤーに輝く。また、その翌年には米国リーディングサイヤーにも輝き、種牡馬としての人気も急上昇した。
ノーザンダンサー産駒の高額馬はかなりの確率で走り、種牡馬としなっても成功をおさめる馬が続出。そのため、セリでの価格は天井知らずに高騰した。

1978年。のちのヌレイエフは130万ドル(約3憶円)で競り落とされ、GⅢ勝ちのみだったにもかかわらず、引退後は1000万ドル(約25憶円)の種牡馬シンジケートが組まれた。

1979年。のちのストームバードは100万ドル(約2憶5000万円)の値で競り落とされ、欧州2歳チャンピオンという肩書だけで3000万ドル(70憶円)もの種牡馬シンジケートが組まれた。

1985年。ノーザンダンサーの仔・ニジンスキー産駒(のちのシアトルダンサー)、1310万ドル(約31憶円)という破格値で競り落とされた。

また、並行して種付料も高騰。
1985年には、25歳という高齢にもかかわらず、種付料が95万ドル(約2憶円)にまで上昇した。
しかし種付権の所有者たちは権利を手放そうとはしなかったため、実際にはさらなる高値で取引されていたものと思われる。

Northern Dancer x Turn-to

ストームバードやサドラーズウェルズ、ダンシングブレーヴ、カーリアン、シアトリカル、カリスマティック、、、。今やいくつにも細分化された両血脈であるため、配合例は数限りなく存在する。
ターントゥ⇒ヘイルトゥリーズンの繁殖牝馬からはスピードとスタミナを兼ね備えた産駒が多く、種牡馬としても大成する馬を多く輩出している。

また、ターントゥ⇒ヘウルトゥリーズン⇒ヘイロー⇒サンデーサイレンスとつながり、ターントゥ⇒ヘウルトゥリーズン⇒ロベルト⇒ブライアンタイムズとつながる。ノーザンダンサー系の繁殖牝馬とサンデーサイレンスやブライアンズタイムズとの相性も良いことからもこのニックスは証明される。

Northern Dancer x Buckpasser

エルグランセニョールやヤマニンスキーが有名。日本ではマルゼンスキーがこの配合。
主流となるノーザンダンサーをバックパサーがサポートし、万能型の競走馬を輩出する。

Northern Dancer x Nusrullah

お互いにいくつもの系統に細分化されたため、その配合例は数限りなく存在する。その中でも、ナスルーラ系のレッドゴッドとノーザンダンサー系の相性が良く、ジャイアントコーズウェイ、カーヤシやテイエムオペラオーなどを産み出している。
他のナスルーラ系からも、カーネギーやパラダイスクリーク、グルームダンサー、シンダー、日本ではサクラバクシンオーやテイエムオーシャンなどが出ている。