セント・サイモン

セント・サイモン

血統飽和の救世主

1881-1908

19世紀。停滞し始めた英国競馬に現れた救世主。競走馬としても、種牡馬としても、その影響力は色濃く残した。

生産国 イギリス

馬主 第6代ポートランド公爵

戦績 10戦10勝

主な勝鞍

  • アスコットゴールドカップ
  • ニューカッスル&ゴスフォースゴールドカップ
  • グッドウッドカップ

クラシックには未登録で出走できなかったため、三歳時から古馬と対戦するが全く寄せ付けずに圧勝。
エプソムカップやグッドウッドカップは20馬身差をつけ大勝する。

St. Simon

  • -Memoir
  • -Simonian
  • -La Fleche
  • -Soult
  • -Childwick
    • -インタグリオー
  • -Florizel
  • -St. Frusquin
  • -Persimmon
    • -Sceptre
    • -Prince Palatine
      • -Rose Prince
        • -Prince Rose
    • -Chatsworth
  • -Diamond Jubilee
  • -William the Third
  • -Chaucer
    • -Prince Chimay
      • -Vatout
        • -Bois Roussel
  • -Reberais
    • -Havresac
      • -Cavaliere d' Arpino
        • -Bellini

1890-96年、7年連続英リーディングサイヤーに輝く。97-99年ま2位に甘んじたものの、1900-01年、再びリーデイングに返り咲く。
その血は世界中に広まり、世界各国で活躍した。

Galopin Vedette Voltigeur
Mrs.Ridgway
Flying Duchess The Flying Dutchman
Merope
St. Angela King Tom Harkaway
Pocahontas
Adeline Ion
Little Fairy

Voltaire 4x4 / Sultan 5x5 / Blacklock 5x6

血統的には一流とは言えない。
父・ガロピンは種牡馬として一流であったが、母・セントアンジェラはサントサイモンの前に7頭の仔を出していたが、小レースを勝った馬が4頭いただけで、目立ったものではなかった。ただ、未出走で繁殖入りした全姉のアンジェリカがオーム(エクリプスS)を輩出しているため、ガロピンとの相性がよかったとも思える。

種牡馬としては、血の飽和状態の時代に新しい血を注入して成功するものの、のちに自身の血によって血の飽和を招いてしまい、衰退してしまう。ただ、一時代を築けるだけの能力と遺伝力を持っていたことは否めない。

クラシック未出走

セントサイモンは、1881年バチアニー公によって生産されたが、2年後バチアニー公の急死によってセリに出されることとなる。セントサイモンが2歳の時である。
そのセリでセントサイモンを1600ギニーで競り落としたのは第6代ポートランド公。彼は当初フルメンという馬を購入予定だったが、セリ値が上がり、結局断念。調教師の勧めで、しぶしぶセントサイモンを購入することとなった。

当時、出走登録の申込者が死亡した場合、その登録すべてが無効になるという規定があり、セントサイモンをはじめ、故バチアニー公が所有した2歳馬はすべてがクラシックレースへの出走権を喪失した。
セントサイモンについては、7頭の兄弟馬の成績も芳しくなく、それほど期待されていなかったため、バチアニー公の時代から2000ギニーのみの登録だった。

デビュー後の快進撃

しかし、デビュー戦を快勝すると2歳で5連勝を飾る。負かした馬の中には、翌年2000ギニーで2着するセントメダードもいた。
クラシック未登録のセントサイモンは3歳になると古馬との対戦を余儀なくされるが、これからが本領を発揮。古馬最強馬といわれていたトリスタンをマッチレースで下すと、当時最も権威の高いレースであったアスコットゴールドカップを20馬身で圧勝。さらに、2番目に権威のあったグッドウッドカップでは、前年のセントレジャー勝馬オシアンに20馬身の大差をつけ圧勝する。

真に最強の馬!

セントサイモンの二年後に三冠馬となったオーモンドに騎乗したアーチャー騎手は「セントサイモンとオーモンドを比べたら、セントサイモンの方が上だ」と語り、六頭のダービー馬を手がけたドウソン調教師は「生涯に真に偉大と言える馬は、セントサイモンだけだ」と語った。

また、1887年に行われた競馬関係者のアンケートによる「19世紀の名馬 TOP10」では、クラシックへの出走がなかったにもかかわらず、Gladiateur・West Australian・Isonomyに次ぐ第4位にランクされた。

種牡馬界の救世主

この時代、頻繁に繰り返された近親交配の影響で活力が低下していた。
この血統の飽和状態の中、血統的にマイナーで決して良血とは言えない配合で生まれたこの馬が救世主となる。そのため、種付けの依頼が殺到し、1910年台前半には種牡馬ランキング・BEST10の半数がセントサイモン系が独占し、「セントサイモン系でなければ、種牡馬ではない」とまで言われた。

また、母父としての影響力も強かった。
23歳のときに早くもブルードメアサイヤーに輝くと、5年連続トップの座を守り続けた。
そのため、セントサイモンを父に持つ繁殖牝馬も激増した。

しかし、この急激な血の広がりが、同時に血の崩壊を招くこととなる。種牡馬も繁殖牝馬もセントサイモン系の馬ばかりとなり、交配が難しくなるにつれ、種牡馬としては衰退していき、その後はブルードメアサイアーとして母系に影響力を残すのみとなった。

エクリプス系におけるセントサイモンのクロス

セントサイモンはストックウェルとガロピンを内包するエクリプス系の4系統(ファロス・テディ・ゲインズボロー・ブランドフォード)に大きく作用し、この系統においてはセントサイモンの濃いクロスから多くの名馬が生まれている。
ファラリス系のファロス(4x3)・フェアウェイ(4x3)、テディ系のサーゲイロード(5x3)・ブルドック(5x3)、ゲインズボロー系のハイペリオン(4x3)、ブランドフォード系のバーラム(5x4,5,5)などがそれにあたり、後世にも色濃い影響を残している。

※テディ系の2頭については、全妹Angelicaも同血と考え、St.Simon=Angelicaでクロスとしています。

初期の日本競馬とセントサイモン

昭和に入り日本ダービーが新設された頃、日本にもようやく競馬の火が灯りだした。
明治時代からの小岩井牧場もこの頃からサラブレッドの生産に力を注ぎ始め、海外からインタグリオーという種牡馬と多くの繁殖牝馬を輸入した。
他牧場もセントサイモン系の種牡馬ばかりを輸入したため、自然とセントサイモンの累進交配がすすんだ。この頃、センタサイモンの累進交配はヨーロッパでも主流であったため、積極的に行われ、その累進交配はプリメロの輸入により頂点に達する。

プリメロはブランドフォード系だが、St.Simon 5x4,5のクロスを持つ。
種牡馬として、日サイヤーベスト10を昭和17年~33年まで一度だけ逃しただけの一流種牡馬で、日本ダービー馬ミナミホマレやクモノハナ・クリノハナ、皐月賞馬トキツカゼ・トサミドリ、天皇賞馬ハクリョウなどを産している。

各馬のセントサイモンのクロスは以下のとおりである。(全妹Angelicaも同血と考える)
ミナミホマレ(5,6,6x5,5,5)/クモノハナ(5,6,6x6,6,6,6,6)/クリノハナ(5,6,6x6,6,6)
トキツカゼ(5,6,6x6,6,6,6,6)/トサミドリ(5,6,6x4,6)/ハクリョウ(5,6,6x6,6,7,7,7,7)

しかし、そのプリメロも一度もリーディングを取れなかったのは、セントサイモンの血がすでに飽和状態となっていた影響ともいえる。