| The Tetrarch | Roi Herode | La Samaritan |
| Roxelane | ||
| Vahren | Bone Vista | |
| Castania | ||
| Scotch Gift | Symington | Ayrshine |
| Siphonia | ||
| Maund | Tarporley | |
| Ianthe | ||
| 父方> Doncaster 5x5 / Specrum 5x5 母方> Hampton 4x5 / St Simon 4x4 / Galopin 5,5x5 |
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父・ザテトラークの頭の良さは評判だったが、その仔テトラテマはそれ以上に頭が良かったと言われたいる。サラブレッド史上屈指の秀才とまで断言する英国人もいるくらいである。
その頭の良さはレースにも如何なく発揮され、スタートからゴールまですべて自分の判断でレースをし、騎手の手綱操作など全く必要としなかったらしい。そのため、騎手は落馬しないようにさえ気をつけていればよかったといわれている。
レースは、スタート直後は馬群を避けるように後方に位置し、中盤は他馬を意識しながら位置取りを上げていく。そしてゴールが近づいたと知るや、さっと抜けだし、まっ先にゴール板を駆け抜けたという。
7月下旬にナショナル・ブリダーズ・プロデュース・ステークスを勝つと、8月上旬のミドルパークステークスまで、短期間で一気に5連勝を飾り、2歳最優秀馬に選出される。
3歳初戦となるグリーナムステークスは不良馬場に泣き、2着となるものの、その能力に対する評価はゆるぎなく、2000ギニーでは2:1(3倍)の本命に推された。
レースは後方で待機すると思われたテトラテマが先頭でレースを進め、観客を驚かせたものの、1馬身の差を保ったままそのまま逃げ切ってしまった。
しかし、一ヶ月後のエプソムダービーにおいて、その弱点は露呈される。
3:1(4倍)とう人気で本命に推されスタートしたレースは、序盤テトラテマとアボッツトレースがレースを引っ張る展開になった。
両馬が前半4ハロンで後続に10馬身以上の差をつけて逃げる展開に、誰もがテトラテマの楽勝を期待していた。
しかし、その直後、テトラテマの脚色が鈍り、後退しはじめる。この時点で誰の目にも勝ち目がないことは明らかだった。結果14着。
その後、5ハロンのレースを楽勝すると、10ハロン(2000m)のエクリプスステークスに出走するも、またしても惨敗。
その結果、テトラテマはスプリンターであることが決定的となった。
短距離レースに照準をしぼってからは無敵の強さを誇り、3歳秋のキングジョージステークスから4歳秋のスネイルウェルステークスまで、5~6ハロンのレースばかりを6連勝して、引退することとなる。
1922年からアイルランドのバリーリンチ牧場で供用開始すると、成績は上々で父同様のスプリンターを数々輩出した。
クラシック勝ちはミスタージンクスの2000ギニーとフォアコースの1000ギニーのみ。他の産駒も活躍はせいぜい10ハロンまでで、2400m以上の重賞レースでの勝ち馬は見当たらない。
これは、スタミナ不足という欠点までも確実に遺伝していたためと考えられる。
しかし、その産駒の能力は安定しており、1928年から10年連続英リーディング・ベスト10に入り、1929年にはブランドフォードを抑えて、英リーディングサイヤーに輝いている。
テトラテマ産駒において日本に輸入されたのはセフトのみ。
そのセフトは、戦争のため外国産馬がの輸入禁止となる昭和13年の直前に輸入され、昭和26年までの14年間、農林看の北海道日高種馬牧場で繋養された。
当初は同時期に輸入されたプリメロに一歩及ばなかったが、戦後の昭和22年に初めて日リーディングサイヤーに輝くと、その後5年間首位の座を守り続けた。
代表産駒には、ダービーをレコードで駆け抜けた直後に破傷風に倒れた伝説の名馬・トキノミノルがいる。