| Ksar | Bruleur | Chouberski |
| Basse Terre | ||
| Kizil Kourgan | Omnium | |
| Kasbah | ||
| Durban | Durbar | Rabelais |
| Armenia | ||
| Banshee | Irish Lad | |
| Frizette | ||
| Omnium 3x4 / St. Simon 4x5 / St. Gatien 5x5 | ||
2歳夏、ビニュール賞を快勝してデビューするも、その2日後に出走したレースで敗退。
その後ドイツでのレースに勝つも、帰国後のグラン・クリテリウムでは惨敗してしまう。
3歳になって俄然本格化すると、グレフュール賞→オカール賞→リュパン賞と3連勝し、臨んだ仏ダービーでは2着以下を2馬身離して快勝する。
その2週後、パリ大賞典では本命に推されるも仕掛けが遅れ、バルネベルに1/2馬身差の3着に終わる。
さらに6日後、共和国大統領杯(現サンクルー大賞典)でもバルネベルに6馬身差をつけられ敗れる。
バルネベルとの4度目の対戦となった秋のセントレジャーステークスでは、バルネベルには先着するもデイリにクビ差及ばず、敗れる。
続く凱旋門賞では、脚の故障を隠したまま出走し、結果6着。
翌年も春先まで調教は続けたものの、調子の回復が見込まれずに引退となる。
重馬場に弱いとも、2400mが限界とも言われ、競走馬としての成績は超一流とまではいかなかった。
この頃のサラブレッドは、ジャージー規制により、父母双方の血統がジェネラススタッドブックに記載されている馬でなければ純血種として認められなかった。
しかし、トウルビヨンの母父・Darbarと母母父・Irish Ladはジェネラススタッドブックに記載されておらず、サラブレッドとして認知されなかったが、トウルビヨンとその仔たちの活躍にイギリスとサラブレッドそのものの凋落を憂いたイギリス競馬界は、ついにはジャージー規則を撤廃し、それらの馬たちをサラブレッドとして認めた。
トウルビヨンは、当時のヨーロッパで”革命の風雲児”と呼ばれたマルセル・ブーサックの牧場で生産された。彼は豊富な財力では巨大な牧場を作り上げ、マルセル・ブーサック帝国とまで言われていた。
一流馬を多くそろえた彼の牧場は他の追随を許さず、優秀な競走馬は引退した後も種牡馬・繁殖牝馬として自牧場に抱え込んだため、自家生産馬のみでの配合・繁栄が可能となった。
しかし、それも2代・3代と重ねていくにつれ、血統構成が似かよった馬が増え、ついには血統の飽和と閉鎖が起こってしまう。その頃には牧場の基礎となった馬たちが多くが亡くなり、危機に陥ったマルセルは、さらなる近親交配に走ってしまい、事態をさらに悪化させてしまった。
その結果、マルセル・ブーサック帝国は『近親繁殖は血の飽和を招き、それによってもたらされた繁栄は永くは続かない』という教訓を残して崩壊した。
仏リーデイングサイヤーに幾度も輝いたトウルビヨン。
その仔たちの中で後継種牡馬として挙げられるのは、仏リーディングサイヤー3回のDjebelである。
また、アメリカではGoyaやAnbiorix、スペインではTourogua、アルゼンチンではTimor、その他オーストラリアやニュージーランドなど、後継種牡馬は世界各地に広がり好成績を残していった。
しかし、イギリスではジャージー規制によって純血とは認められないトウルビヨンの血は受け入れられず、その仔たちも種牡馬として繁栄することはなかった。
その血脈は、現在でもLuthie系rとAhonoora系として継がれている。
日本では、トウカイテイオーとメジロマックイーンがこのトウルビヨン->パーソロン系として、その血脈を継いでいる。
ナスルーラ系のスピードにトウルビヨン系のスタミナを注入することでバランスのとれた産駒が生まれる。
ネヴァーベントがこの配合であり、日本では父母双方にこのニックスを持つマックスビューティが有名である。
この配合ではサドラーズウェルズが有名。日本国内でもホリスキーなどを輩出しているが、全体的に長距離をスタミナで粘り切る馬が多い。