| Chatsworth | Persimmon | St. Simon |
| Perdita II | ||
| Meadow Chat | Minting | |
| Stone Clink | ||
| Enamoured | Gonsalvo | Fernandez |
| Cherie | ||
| Young Lady | Young Merbourne | |
| My Lady | ||
| Stockwell 5x4(母) | ||
母は、日本競馬創世記にチャッツウォースの仔を宿した状態で輸入された牝馬。
そのため血統的には三流と言え、曾祖父にセントサイモンの名が見られる程度である。
明治40年(1907年)、馬政局の命で訪欧した新山荘輔の手により数頭の繁殖牝馬が小岩井牧場にもたらされた。その中にチャッツウォースの種を宿した牝馬・エナモールドがいた。
エナモールドは、翌年に牡馬(コイワヰ)を出産。当時は日本で生まれた馬はすべて内国産馬として認められたため、コイワヰも内国産馬として登録された。
馬券によって破産するものが相次ぎ、治安の悪化を懸念した政府は、明治41年に馬券の発売を禁止したばかりであり、優秀な軍馬の発掘が競馬の最大目標とされていた。
3歳7月に新呼馬戦を勝利でデビューすると、11月の呼馬戦、呼馬優勝戦と連勝。3戦3勝で4歳となる。
4月、阪神における呼馬戦を勝利、翌日の呼馬優勝戦で3着と敗れるも、十日後の目黒での呼馬戦を130ポンドを背負ってレコード勝ち。翌日の帝室御賞典では137ポンドの斤量を背負って前日のレコードを更新し、勝利。さらに翌日の2400mの呼馬優勝戦では144ポンドの斤量でレコード勝ちした。
秋には7戦し、呼馬優勝戦1勝を含む5勝。12戦9勝で終える。
5歳時は16戦し、帝室御賞典と呼馬優勝戦1勝を含む10勝するも、一時期の勢いに陰りが見え始めた。
この頃の斤量は160ポンド(77~78kg)を極量とし、勝利を重ねることで増え続けた。コイワヰは5歳4月の目黒での勝利時点でその極量に達し、以後ほとんどのレースで180ポンドを背負っての出走を余儀なくされたため、過斤了による敗戦とも受け止められる。
6歳時にはその傾向がさらに顕著に表れ、呼馬優勝戦を2勝するも、17戦8勝、2着6回3着2回。
7歳時は、呼馬優勝戦2勝を含め、14戦6勝、2着3回3着4回
8歳時は、呼馬優勝戦2勝を含め、18戦8勝、2着3回3着4回
そして9才になり、呼馬戦を勝利し、呼馬優勝戦2着後、引退した。
引退までに極量での勝利は十度を数え、25度の呼馬優勝戦での勝利はかなり優秀といえる。
引退後は、小岩井牧場で供用される。
当時の種牡馬はイギリスからの輸入種牡馬が主で、内国産の種牡馬は数えるほどしかいなかった。
しかしコイワヰの種牡馬としての成績は優秀でイギリス産種牡馬と互角の成績を残し、中でもハクショウは阪神御賞典(阪神連合2マイル)など35戦17勝の成績をあげた。