| Tournesol | Gainsborough | Bayardo |
| Rosedrop | ||
| Soliste | Prince Willam | |
| Sees | ||
| 星旗 | gnome | Whisk Broom |
| Fairy Sprite | ||
| Tuscan Maiden | Maiden Erlegh | |
| Tuscan Red | ||
| Hampton 5,5x6,7 / St. Simon 5,5x6,6 | ||
父・トウルソヌルはダービー馬を6頭輩出した名種牡馬。
母・星旗(米名 Fairy Maiden)はアメリカからの輸入牝馬で、初仔・クレオパトラトマス(16勝)がすでに活躍していた。
セントサイモン系イギリス種牡馬とエクリプス系アメリカ繁殖牝馬の配合のため、セントサイモンに偏重せずに、程良く血が活性化している。
産駒の特徴は、古馬になって長距離レースでの活躍馬が目立つ。そのため、天皇賞で抜群に強い。
クモハタは、下総のセリでその年の最高値で落札された。
オーナー・加藤雄策はダービーを取るために購入したと豪語していたほど、期待は高かった。
しかし、3歳になると蹄叉腐爛に見舞われ、しばらくは歩行すらできない日々が続いたため、年明けのデビューは見送られた。
春になり、肢の負担が肩にも影響を及ぼし始めたものの、何とか走行可能な状態まで回復すると新馬戦に出走した。
初戦は2着に敗れたものの、1週後のレースで初勝利。実に、ダービー3日前のことである。
この時点で、獣医も調教師もダービー出走は無理と考えていたが、馬主の強硬な決意によりダービーに出走することとなった。
ダービー当日。出走頭数20頭。
クモハタのオッズは最高の10倍。この当時の配当は、最高倍率を10倍と決め、余った金は不適合者で分配する仕組みだったらしい。
レースは3番人気のマルタケが逃げ、クモハタは先行集団でレースを進める展開。
しかし、スタンド前から1コーナーあたりで後方まで下がり、4コーナーで再び先行に取りついた。
直線に入り、マルタケが失速し、一番人気のリツチモンドが先頭に立つと、そのすぐ後ろにクモハタが取りついた。そして、次の瞬間には並ぶ間もなくクモハタがリツチモンドを交わして、1馬身差をつけゴールした。
結果、クモハタの単勝配当は10倍。それに加え、特配として余剰金により購入金額の55%が払い戻される結果となった。
その後、クモハタは4歳秋までに走り、21戦9勝で引退した。
最後まで故障に悩まされ、満足な体調で出走できたレースはなかったといわれる。
クモハタの姉・クレオパトラトマスは16勝した女傑。
また、この牝系からはタカクラヤマ(16勝/天皇賞など)やハクチカラ(20勝/天皇賞など)、ハマカゼ(13勝/桜花賞など)などの名馬が多数出ている。
戦後、昭和27年(1952)の解禁まで外国産種牡馬の輸入が禁止されていた。そのため、1950年代前半の競馬界は新しい輸入種牡馬がいない時代となる。
1941年から供用をはじめ、2年目にカツフジ(25勝/天皇賞など)を輩出。
以後もコンスタントに名馬を誕生させ、生涯で7頭の天皇賞馬を輩出した。
また、外国産種牡馬の輸入禁止の影響もあり、1952~57年の6年連続で日本リーディングサイヤーの座に輝いている。
また、1951年にはクモハタの功績をたたえ、『クモハタ記念』が創設。1980年まで施行された。
しかし、1953年、馬伝染性貧血を患い、9月10日に家畜伝染病予防法に基づき薬殺された。
クモハタとプリメロの相性は抜群に良く、メイヂヒカリをはじめ、キングフラワーやヤマトチカラがこの配合である。
また、プリメロの仔・トサミドリとの間にも、ホマレボシやカツトシなど優秀な馬を輩出した。
双方とも古馬になって熟成する特徴を持ち、負担重量に耐え、重厚で堅実な実力を備えていた。