| Gay Time | Rockfella | Hyperion |
| Rokfel | ||
| Daring Miss | Felicitation | |
| Venturesome | ||
| Chill Wind | Wyndham | Blenheim |
| Bossover | ||
| Heart of Midlothian | Scottish Union | |
| Eppie Adair | ||
| Gainborough 4x5 / Orby 5x5 | ||
ハイペリオン×ブランドフォードというスタミナに長けた配合。
しかしながら、メイズイは2400m以下では<15,1,0,0>に対し、2500m以上のレースでは<0,3,1,3>と明らな距離の壁を持っていた。これは、ゲイタイム産駒の特性とも言え、そのせいか種牡馬となって成功することはできなかった。
優れたスピードは父・ゲイタイムから引き継いだといわれているが、母チルウィンドも繁殖牝馬として非凡で、兄弟にメイコウ(6勝)・メイタイ(7勝)などがおり、さかのぼるとアメリカの優秀な牝系にたどり着く。
昭和38年に千明牧場で誕生したのは、メイズイ一頭だけだった。
「たった一頭だけしか生まれなかったのならば仕方がない」とオーナーの千明康もあきらめていたが、7月に馬見に訪れた尾形調教師が、「今年見た当歳馬に中で一番素晴らしい。チルウィンドウの傑作になるだろう」といったことから、事態は一変した。
2歳になって、メイズイは予定通り尾形厩舎に入厩した。
この年、尾形厩舎にはメイズイの他にグレートヨルカという馬もいた。この馬も尾形師が折り紙をつけた馬で、2歳デビュー時から連戦連勝であった。
それを見た千明は、逆にじっくり仕上げようと、2歳時にデビューさせずデビューを年が明けるまで待った。
新馬は、仕上がったらいち早くレースに出走させていたこの時代。
年明けまで待ったことが、後になってプラスになったのでないかと言われている。
年が明けて、1月3日。
中山競馬場・芝1200m戦でデビューしたメイズイは、そのデビュー戦で2着馬を10馬身離して逃げ切るといった圧勝劇で勝利をおさめた。
2戦目となる東京競馬場での芝1400m戦でも、1分26秒0というレコードタイムで快勝。3戦目もあっさり勝利し、東京記念でグレートヨルカと初対戦する。
しかし、その東京記念のスタートで出遅れてしまったメイズイは、結果届かずグレートヨルカの2着と初黒星を喫する。
その屈辱を果たすべく2度目の対戦となったスプリングSでは、不良馬場の中、メイズイが4馬身差をつけて逃げ切った。
そして、皐月賞。
この年の皐月賞は東京競馬場で行われたということもあり、差し脚鋭いグレートヨルカの方が人気となった。
しかしレースでは、終始メイズイが先頭を走り、グレートヨルカを2馬身おさえて逃げ切ったしまった。
3着以降がさらに5馬身ついたことから考えると、この2頭だけのレースだったともいえる。
皐月賞後、ダービーは、メイズイとグレートヨルカの一騎打ちという見方が強まり、『M・Gダービー』とまで言われた
このときグレートヨルカは2歳時からの連戦の疲れが出てきており、「勝つのはメイズイ。メイズイがレコードを破るかどうかが最大の注目」という声もあった。
そして、ダービー当日。
ゲートが開くと予定通りメイズイが逃げ、グレートヨルカは2番手集団といった展開でレースは流れた。
レースが動いたのは4コーナーから直線にかかる残り600m付近。後続を突き放しにかかるメイズイに対し、グレートヨルカはうまく外に持ち出せずに内でもがいていた。
グレートヨルカは坂下でようやく馬群を切り抜けたものの、その時には既に大差がついており、結果7馬身差でメイズイが圧勝する結果となった。
走破タイム『1分28秒7』。
それまで壁と言われてた1分30秒を破るだけではなく、レコードを1.5秒も塗り替える1分28秒台に突入したことは当時としては衝撃的なことで、レース後、「三冠間違いなし!」とまで言われた。
このメイズイのダービー優勝で、馬主・千明康氏は史上初めての”父子でのダービー制覇”を達成した。
秋になり、古馬とのレースを2連勝したメイズイは、期待通り菊花賞にコマを進めた。
ここでの話題は、メイズイの三冠達成なるかの一点に絞られ、メイズイの単勝支持率83%という圧倒的な一番人気でレースが始まった。
誰もが史上2頭目の三冠馬誕生を期待する中、予想通り、レースはメイズイの逃げて始まった。
スタート直後は快調だったメイズイの逃げも、スタンド前に差し掛かるといきなりペースが上がり、ハイペースの逃げとなった。
その影響で2週目の3コーナー手前でピッチが落ち始め、直線に差し掛かるとばったり止まってしまったように後退。グレートヨルカから大きく引き離される6着という結果に終わった。
その後、1800mのクモハタ記念を62kgで勝つも、有馬記念では古馬のリュウフォーレルに1馬身半差の2着に敗れた。
明けて、1月。中山芝2600mのアメリカンJ.C.Cに出走するも、これも距離の壁に泣き、7頭中5着と惨敗する。
2か月の休養後、2000m以下のレースを連勝したメイズイは天皇賞の参戦。
やはり、距離の壁に泣き、結果、ヒカルポーラの2着に敗れた。
秋になり、2000m以下のレースを連勝するものの、本番となる天皇賞・秋(3200m)や有馬記念(2500m)は勝てずに、翌年1月のオープン戦を最後に引退した。
メイズイが三冠を達成できなかった翌年、クラシックを賑わせたのはシンザンだった。
シンザンは見事に三冠を達成。シンザンが三冠達成した時に割られたくす玉は、メイズイの菊花賞の際に作られたものだったらしい。
供用初年度。ゲイタイムゆずりのスピードを期待され、51頭に交配されたものの、外国輸入種牡馬全盛の時代のこの頃、優秀な繁殖牝馬は回ってこなかった。
繁殖力が弱かったせいか、産駒の体質が弱かったせいか、初年度産駒が出走までこぎつけたのは、たったの3頭。そのうち、1頭だけが1勝しただけで、結果らしい結果は全く残せなかった。
その後も、重賞勝馬も中京4歳Sを勝ったスノードーターのみ。
森繁久弥氏の持ち馬で、新馬勝ちしたヒサノオーヒが話題に放ったものの、良績は残せなかった。