メイズイ/日本ダービーで初めて2分30秒をきった馬

驚異のダービーレコードで2冠制覇/メイズイ

2分30秒の壁を破った馬

1960-1978

日本ダービーで初めて2分30秒の壁を破り、2分28秒7という当時では驚異的なレコードを打ち立てた。

生産地 千明牧場(群馬)

馬主 千明康

戦績 22戦15勝

主な勝鞍

  • 日本ダービー
  • 皐月賞

昭和38年日本ダービーを、それまでのレコードを1.5秒上回る1分29秒7で優勝。『このタイムは永遠に破られない』まで言われた。

メイズイ

  • -ヒサノオーヒ

種牡馬として供養させるも、当時は外国馬優遇の時代。次々と輸入される種牡馬に押され、繁殖牝馬にも恵まれず、代表的な産駒を残すことすらできなかった。

Gay Time Rockfella Hyperion
Rokfel
Daring Miss Felicitation
Venturesome
Chill Wind Wyndham Blenheim
Bossover
Heart of Midlothian Scottish Union
Eppie Adair
Gainborough 4x5 / Orby 5x5

ハイペリオン×ブランドフォードというスタミナに長けた配合。
しかしながら、メイズイは2400m以下では<15,1,0,0>に対し、2500m以上のレースでは<0,3,1,3>と明らな距離の壁を持っていた。これは、ゲイタイム産駒の特性とも言え、そのせいか種牡馬となって成功することはできなかった。
優れたスピードは父・ゲイタイムから引き継いだといわれているが、母チルウィンドも繁殖牝馬として非凡で、兄弟にメイコウ(6勝)・メイタイ(7勝)などがおり、さかのぼるとアメリカの優秀な牝系にたどり着く。

手間暇かけた秘蔵っ子

昭和38年に千明牧場で誕生したのは、メイズイ一頭だけだった。
「たった一頭だけしか生まれなかったのならば仕方がない」とオーナーの千明康もあきらめていたが、7月に馬見に訪れた尾形調教師が、「今年見た当歳馬に中で一番素晴らしい。チルウィンドウの傑作になるだろう」といったことから、事態は一変した。

2歳になって、メイズイは予定通り尾形厩舎に入厩した。
この年、尾形厩舎にはメイズイの他にグレートヨルカという馬もいた。この馬も尾形師が折り紙をつけた馬で、2歳デビュー時から連戦連勝であった。
それを見た千明は、逆にじっくり仕上げようと、2歳時にデビューさせずデビューを年が明けるまで待った。

新馬は、仕上がったらいち早くレースに出走させていたこの時代。
年明けまで待ったことが、後になってプラスになったのでないかと言われている。

衝撃のデビュー~皐月賞

年が明けて、1月3日。
中山競馬場・芝1200m戦でデビューしたメイズイは、そのデビュー戦で2着馬を10馬身離して逃げ切るといった圧勝劇で勝利をおさめた。
2戦目となる東京競馬場での芝1400m戦でも、1分26秒0というレコードタイムで快勝。3戦目もあっさり勝利し、東京記念でグレートヨルカと初対戦する。

しかし、その東京記念のスタートで出遅れてしまったメイズイは、結果届かずグレートヨルカの2着と初黒星を喫する。
その屈辱を果たすべく2度目の対戦となったスプリングSでは、不良馬場の中、メイズイが4馬身差をつけて逃げ切った。

そして、皐月賞。
この年の皐月賞は東京競馬場で行われたということもあり、差し脚鋭いグレートヨルカの方が人気となった。
しかしレースでは、終始メイズイが先頭を走り、グレートヨルカを2馬身おさえて逃げ切ったしまった。
3着以降がさらに5馬身ついたことから考えると、この2頭だけのレースだったともいえる。

1分29秒6のダービーレコード

皐月賞後、ダービーは、メイズイとグレートヨルカの一騎打ちという見方が強まり、『M・Gダービー』とまで言われた
このときグレートヨルカは2歳時からの連戦の疲れが出てきており、「勝つのはメイズイ。メイズイがレコードを破るかどうかが最大の注目」という声もあった。

そして、ダービー当日。
ゲートが開くと予定通りメイズイが逃げ、グレートヨルカは2番手集団といった展開でレースは流れた。
レースが動いたのは4コーナーから直線にかかる残り600m付近。後続を突き放しにかかるメイズイに対し、グレートヨルカはうまく外に持ち出せずに内でもがいていた。
グレートヨルカは坂下でようやく馬群を切り抜けたものの、その時には既に大差がついており、結果7馬身差でメイズイが圧勝する結果となった。

走破タイム『1分28秒7』。
それまで壁と言われてた1分30秒を破るだけではなく、レコードを1.5秒も塗り替える1分28秒台に突入したことは当時としては衝撃的なことで、レース後、「三冠間違いなし!」とまで言われた。

このメイズイのダービー優勝で、馬主・千明康氏は史上初めての”父子でのダービー制覇”を達成した。

距離という破れぬ壁

秋になり、古馬とのレースを2連勝したメイズイは、期待通り菊花賞にコマを進めた。
ここでの話題は、メイズイの三冠達成なるかの一点に絞られ、メイズイの単勝支持率83%という圧倒的な一番人気でレースが始まった。

誰もが史上2頭目の三冠馬誕生を期待する中、予想通り、レースはメイズイの逃げて始まった。
スタート直後は快調だったメイズイの逃げも、スタンド前に差し掛かるといきなりペースが上がり、ハイペースの逃げとなった。
その影響で2週目の3コーナー手前でピッチが落ち始め、直線に差し掛かるとばったり止まってしまったように後退。グレートヨルカから大きく引き離される6着という結果に終わった。

その後、1800mのクモハタ記念を62kgで勝つも、有馬記念では古馬のリュウフォーレルに1馬身半差の2着に敗れた。
明けて、1月。中山芝2600mのアメリカンJ.C.Cに出走するも、これも距離の壁に泣き、7頭中5着と惨敗する。

2か月の休養後、2000m以下のレースを連勝したメイズイは天皇賞の参戦。
やはり、距離の壁に泣き、結果、ヒカルポーラの2着に敗れた。

秋になり、2000m以下のレースを連勝するものの、本番となる天皇賞・秋(3200m)や有馬記念(2500m)は勝てずに、翌年1月のオープン戦を最後に引退した。

皮肉な運命

メイズイが三冠を達成できなかった翌年、クラシックを賑わせたのはシンザンだった。
シンザンは見事に三冠を達成。シンザンが三冠達成した時に割られたくす玉は、メイズイの菊花賞の際に作られたものだったらしい。

種牡馬としては、ダメダメ。

供用初年度。ゲイタイムゆずりのスピードを期待され、51頭に交配されたものの、外国輸入種牡馬全盛の時代のこの頃、優秀な繁殖牝馬は回ってこなかった。
繁殖力が弱かったせいか、産駒の体質が弱かったせいか、初年度産駒が出走までこぎつけたのは、たったの3頭。そのうち、1頭だけが1勝しただけで、結果らしい結果は全く残せなかった。

その後も、重賞勝馬も中京4歳Sを勝ったスノードーターのみ。
森繁久弥氏の持ち馬で、新馬勝ちしたヒサノオーヒが話題に放ったものの、良績は残せなかった。