セントライト

日本競馬史で最初の三冠馬/セントライト

日本競馬史上初の三冠馬

1938-1965

日本競馬史上に残る名馬。史上初の三冠を達成した名馬。

生産地 小岩井牧場(岩手)

馬主 加藤雄策

戦績 12戦9勝

主な勝鞍

  • 東京優駿(ダービー)
  • 横浜農林省賞典(皐月賞)
  • 京都農林省賞典(菊花賞)

言わずと知れた競馬史上初の三冠馬。
敗戦の3つは、古馬との1戦とハンデに泣いた2戦。実力では抜けていたことは間違いない。

セントライト

  • -オーライト
  • -オーエンス
  • -セントオー

三冠馬ながらも交配相手に恵まれなかった。27歳まで生きたが、種牡馬としては活躍した期間は短い。
GⅠクラスの3頭を含め、それなりの優秀な仔を残したものの、血脈としては継がれなかった。

Diolite Diophon Grand Parade
Donnetta
Needle Rock Rock Sand
Needle Point
Flippancy Flamboyant Tracery
Simonath
Slip Robert de Diable
Snip
Rock Sand 3x4 / Donovan 4x4 / St Simon 5,6x4 / Orme 5x5
Galopin 5,6,6,7,7,7x5,5,6,7,7

父・ダイオライトはマイラー血統だが、当時の日本競馬の距離形態のせいか長距離馬も多く輩出した。
セントライトもそのうちの一頭で、自身がステイヤーであるとともに、多くの長距離馬を輩出した。

母・フリッパンシーは異父弟・トサミドリ(21勝/2冠馬)やクリヒカリ(9勝/皐月賞・天皇賞)を産んだ名牝で、日本競馬に対する多大な影響を残した。

ロックサンド、ドノヴァン、サントサイモン等の異系のクロスが混在するが、それぞれ軽さと重さを兼ね備えた血脈血統として良い影響を及ぼしあったものと考えられる。また、混じり合うことで強さを増すガロピンの血が強い活力を与えているともいえる。

横浜農林省賞典

セントライトは、三歳春の新呼馬戦を勝利で勝ち上がった。
初戦のオッズは最低人気の10倍。(当時の賭け倍率は10倍が最高で、余剰金は不配当者に分配された。)特配(余剰金の分配金)も32.5%であった。

新馬勝後、横浜農林省賞典(皐月賞)に直行。
8頭立てとなった皐月賞も人気にはならなかった。
しかし、一番人気のミナミモアに3馬身差をつけて、快勝してしまう。

東京優駿

皐月賞の翌週に1戦を消化すると、中2週明け、その後ダービーまで4連闘で出走。
古呼馬(古馬混合)ハンデ戦で古馬シヂリダケにアタマ差の2着に負けたものの、他のレースには勝利して、ダービー当日を迎えた。

ダービーは6頭立て。またしてもミナミモアが一番人気となった。
レースは、終始好位置につけていたセントライトが直線で抜けだすと、後続馬を8馬身引き離して大楽勝する。
鞍上の小西騎手は、レース後「あんな楽なレースはなかった」と述べたらしい。

京都農林省賞典

秋初戦、古呼馬のハンデ戦で66kgを背負わされ3着に敗れたものの、次走では再び66kgを背負って快勝。さらに次の別定戦は何なく勝ち上がり、京都農林省賞典(菊花賞)を目指して西上した。

万全を期した西上であったが、本番一週前に古呼馬戦では68kgを背負い、二着に負けてしまう。

そして、6頭立てとなった京都農林省賞典。
今回は本命に推され、期待に応えてミナミモア以下を2馬身半つき放して圧勝。史上初の三冠馬となった。
三冠ともの見事な快勝だった。

レース後、負担重量が大きくなりすぎることを嫌い、引退することとなった。

繁殖生活

引退後は、小岩井牧場で種牡馬として供用される。
オーライト(天皇賞)やオーエンス(天皇賞)、セントオー(菊花賞)を輩出するものの、1949年に岩手県種畜場に移されてからは交配相手にめぐまれなかったせいもあり、優秀な産駒は出なかった。

その後、1965年に27歳に老衰で死亡するまで長生きしたが、後半は全く活躍馬が出なかった。