トサミドリ

生涯21勝の2冠馬/トサミドリ

内国産種牡馬の雄

1946-1970

種牡馬として7頭の八大競争優勝馬を輩出し、年間の産駒総勝鞍109勝は長らく内国産種牡馬の最高記録であった。

生産地 盛田牧場(青森)

馬主 斉藤健二郎

戦績 31戦21勝

主な勝鞍

  • 皐月賞
  • 菊花賞

セントライトの異父弟。
3~4歳時、20戦17勝。2冠を制した名馬。
古馬になって精彩を欠くが、超一流馬と呼ぶにふさわしい梅である。

トサミドリ

  • -キタノオー
  • -キタノヒカリ
    • -アイノテイオー
    • -キタノダイオー
  • -トサオー
  • -ガーネット
  • -キタノオーザ
  • -ホマレボシ

日本リーディングサイヤーの座に輝いたことはないものの、15年のわたって通産109頭の勝ち馬を輩出した。

Promero Blandford Swynford
Blanche
Athasi Farasi
Athgreany
Flippancy Flamboyant Tracery
Simonath
Slip Robert de Diable
Snip
St. Simon 4x5 / Melton 5x5 / White Eagle&Lesterlin 4x5

セントライト(三冠馬)の異父弟。
父がプリメロに変わり、スピード・スタミナ・パワーをバランスよく備え、内国産種牡馬特有の底力・勝負根性に富んでいる。

『速さ』の2歳

昭和23年。
札幌の新馬戦を3番人気ながらもレコードタイムで逃げ切ったトサミドリは、2週後のレースでクビ差で敗退してしまう。

一息ついて、12月の東京でのレースで快勝すると、現在の朝日杯2歳Sに相当する『3歳ステークス(当時は数えで加齢されたため、今の2歳馬は当時3歳とされていた)』に出走。
終始中団で進みながらも四角で後退し直線で一気に差し切るといった豪快なレースで、再びレコード勝ちを収めた。

4戦3勝、2レコード勝ちという成績で2歳を終えた。

『強さ』の3歳

年明け初戦をハナ差で敗退したものの、その後3連勝を飾り、皐月賞に駒を進めた。
この年の初戦から浅野武志騎手が主戦ジョッキーとなった。

皐月賞では、単勝150円のダントツの一番人気。
トサミドリは、スタート直後から先頭直後につけ、残り半マイルから抜け出すと、2着以下を2馬身離して快勝。余裕の勝利をであった。

その後、東京でのレースを勝利し、本番のダービー。
単勝支持率56%の圧倒的な支持を受けレースに臨んだトサミドリであったが、スタート直後に先頭に立つと後続馬を大きく離してかかり気味に逃げてしまう。一説には、鞍上の浅野騎手があがってしまい、掛かり気味のトサミドリをうまく制御できなかったためとも言われている。
兎にも角にも、大逃げとなったトサミドリは三角で後続馬に追いつかれると、直線でずるずるとに交わされ、結果7着に終わってしまった。
このレース、3コーナー手前でミネノマツが他2頭を巻き込んで転倒したこともあり、大穴のタチカゼ(単勝55430円)が勝つ大波乱の結果となった。

ダービーで惨敗したトサミドリは翌週の特別戦をレコード勝ちし、以後、札幌~函館~京都で連勝。
鞍上はダービー後2戦は田中騎手→野平騎手と乗り替えられたものの、その後は主戦の浅野騎手に戻った。
ダービー後5連勝して、秋の菊花賞に臨んだトサミドリはもちろん一番に推された。
6頭立てのレースはトサミドリが逃げる形で流れ、4コーナーで他馬に並ばれるも、直線で再び引き離し、2馬身差の着差をつけ勝利を収めた。

その後、セントライト記念を快勝。
さらに次2戦をレコード勝ちで勝利し、16戦14勝で3歳シーズンを終えた。

『苦悩』の古馬

4歳になり、正月の京都金杯を快勝後、4月のオープン戦で74kgを背負って楽勝し、ダービー後の連勝を11まで延ばした。

しかし、2週後の京都記念では斤量75kgを背負わされ、敗退。このレースで勝ったニシタップの斤量は54kgで、じつに21kgのハンデ差があった。
その後、阪神オープンで75kgを背追い、2着。札幌記念では70kgで、勝利。
天皇賞に駒を進めた。

またしても圧倒的な一番人気に推されたトサミドリ。
終始中団でレースを進め、最後の直線坂上で抜け出しを図ったものの、エゾテツザンの斜行により接触され、転倒し、競争中止となった。このレースの勝馬ヤシマドーターは、トサミドリが惨敗したダービーで転倒事故に巻き込まれた馬である。

天皇賞での転倒の影響か、その後の2レースは精彩を欠き、4着・7着に終わる。

5歳になり、稗田厩舎に転厩。
4月の東京盃うぃ勝ったものの、目標の天皇賞(春)ではタカクラヤマから3馬身差の2着。
半年の休養後、秋の天皇賞では7頭立て7着に終わり、ついに引退となった。

引退レースが最下位というのも、名馬には珍しいケースである。

『繁栄』の種牡馬

引退後、トサミドリは北海道の稗田牧場で種牡馬生活に入った。
種牡馬としてのスタートは素晴らしく、キタノオーが朝日杯を、トサモアーが阪神三歳Sを制し、初年度産駒が東西の2歳(当時は数えで3歳と表記)代表レースを勝つといった偉業を達成した。

その後、10年連続して日本リーディングのトップ10に入るなど、当時の内国産種牡馬ではナンバーワンの成績を残した。
また、8大競争(桜花賞・皐月賞・オークス・ダービー・菊花賞・天皇賞<春・秋>・有馬記念)優勝馬7頭輩出や産駒の年間勝鞍109勝といった記録は、内国産種牡馬の記録としてしばらく破られることはなかった。
これらは、外国産種牡馬の輸入解禁直後で有力種牡馬が少なく、比較的質の良い繁殖牝馬と交配できたことが要因とも言われている。

トサミドリ x Pharalis系

父としてコマツヒカリなどを輩出しただけではなく、母父としても数多くの名馬を出した。