純血種としてのサラブレッドを定義づけ、以後のサラブレッドの方向性を提示した血統書である。
第18巻までは具体的な定義づけはされておらず、単なる登録書であったが、他の血の注入を頑なに拒むことでサラブレッドという特権階級を作り出した。
19世紀末になると、イギリスではアメリカやオーストラリアからの競走馬の輸入が急激に増大し、資格条件に抵触することがしばしばおこった。そのため、サラブレッドの具体的な定義が定められ、第22巻で「ジャージー規制」が作られ、挿入された。
しかし、疑わしい血統ながらもサラブレッドとして扱われる馬が現れたり、規制以前に輸入されたとすることで規制適用を免れた馬も現れた。
ジョッキークラブ事務局長・ジェームズ・ウェザビーが、サラブレッドの体系的な血統書の発刊を目指し、各牧場の私的な血統記録や過去のレーシングカレンダーを集めさせ、それまでの活躍馬の血統とそれらの馬の成績をまとめた序巻を出版。
この書の中に記した馬の身を純血種とし、他のいかなる血も注入するして改良することを禁じた。
<東洋種牡馬102頭、繁殖牝馬387頭 収録>
序巻の内容を補完。
その後も6度改訂され、1891年に最終版が出版された。
<東洋種牡馬174頭、繁殖牝馬739頭、その他この頃までの競走馬・種牡馬・繁殖牝馬 収録>
”サラブレッド”という言葉が初めて登場。
「本書はサラブレッドの登録書である」と明言。
サラブレッドの登録資格基準を『先祖8代あるいは9代に渡って純血馬が交配され、かつ一世紀前まで血統が証明でき、近親馬の競走成績が優れていること』と定めた。
これは、アメリカのサラブレッドが数多く輸入され、その馬たちの中に英クラシックレースを制する馬が現れたため、屈辱を感じたイギリス競馬界が「アメリカのサラブレッドには、ジェネラルスタッドブックに記載されずに輸出された馬や戦争などで血統書が失われた馬がおり、サラブレッドの純血性が失われる可能性がある」として、基準を定めた。
「先祖の全てがジェネラルスタッドブックに収録されている馬に遡れなければ、ジェネラルスタッドブックに登録しない。」と定める。
第21巻の規制を、さらに強化。
「いかなる牡馬または牝馬も、もし当該馬がその血統の父方及び母方の双方において、本血統書の以前の巻にすでに登録されている牡馬及び牝馬に確実に遡ることができなければ、登録有資格馬とは認められない。」と明示した。
サラブレッドと認められなかった馬たちも、”サラブレッド系種”としてレースに出走することができた。
1914年には、サラブレッド系種のダーバーがエプソムダービーを制覇している。
厳格なイギリスに対し、比較的規制の緩やかだったフランスはアメリカからの輸入馬とイギリスの血を配合し、イギリス産馬に比べ優位に立った。
とくに、トウルビヨンの出現により、この規制の愚かさが顕著に表出した。
トウルビヨンを筆頭に、サラブレッドとは認められない”半血馬”の活躍が増え、仏米の強い反発も相まって、ついに「ジャージー規制」が解除された。
英仏で施行された「ジャージー規制」のおかげで、閉鎖的になった英仏のサラブレッド界は質的にも量的にも停滞を余儀なくされた。
一方、登録基準がかなり開放的だったアメリカのサラブレッド界は英仏の血統を輸入し、在来馬たちと自由に混合することで血が活性化され、良質なサラブレッドを生産していた。